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名古屋地方裁判所 昭和30年(行)4号 判決

原告 近藤政次

被告 名古屋国税局長

訴訟代理人 宇佐美初男 外二名

主文

被告が昭和三十年一月二十八日原告に対してなした昭和二十三年分贈与税課税価格金十三万四千七百円(基礎控除後八万四千七百円)及び昭和二十四年分贈与税課税価格金三十七万四千九百円の各審査請求棄却決定はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、請求原因として次のとおり述べた。

一、訴外名古屋西税務署長(以下訴外税務署長と略称する)は原告に対して昭和二十九年一月三十日昭和二十三年分贈与税の課税価格を金十三万四千七百円(基礎控除後八万四千七百円)と決定し、次いで昭和二十九年二月四日昭和二十四年分贈与税の課税価格を金三十七万四千九百円と決定し、夫々原告に通知した。

二、ところで原告は右贈与税課税決定については原因が存在しないので、右決定を不服として昭和二十九年二月五日昭和二十三年分贈与税の課税決定につき、同月十六日昭和二十四年分贈与税の課税決定につき、夫々訴外税務署長に対して再調査の請求をなしたところ、同署長は同年四月二十日再調査の請求の理由を立証する所得税の申告書が提出されていないとの理由で、棄却決定をなした。

三、よつて原告は昭和二十九年四月二十六日右両年度の棄却決定について、被告に対し審査の請求をなしたところ、被告は昭和三十年一月二十八日原告の申立は生計、事業の実情よりみて理由がないものと判定するとの理由で棄却決定をなし、更に昭和三十年一月三十一日訴外税務署長をして昭和二十四年分贈与税課税価格を金七万六千円とする旨の更正決定をなさしめた。

四、然るに原告は別紙第一目録記載の不動産を売却した金を、昭和二十三、四年間に別紙第二第三目録記載の株式取得資金として訴外近藤しづ(以下しづと称する)に贈与した事実はなく、訴外税務署長の贈与税課税決定及び原告の審査請求に対する被告の棄却決定並びに訴外税務署長の右更正決定は、いずれも贈与の事実がないのに課税したもので原因を欠き、且つ審査請求棄却決定の理由は抽象的で相続税法第四十五条第五項の適式な要件を欠くのみならず、訴外税務署長が昭和二十九年一月三十日付でなした昭和二十三年分贈与税の課税価格決定は、右年度の租税債権の存否が客観的に確定した直後の昭和二十四年一月一日より起算して、満五年を経過した昭和二十九年十二月末日をもつて時効完成し、課税権が消滅した後になされたものであるから違法である。よつて被告のなした昭和二十三年分及び昭和二十四年分の贈与税審査請求棄却決定の取消を求めるため本訴提起に及んだ次第である。

次に被告の主張に対して左のとおり述べた。

一、贈与事実の認定について

(1)  原告が被告主張のごとく別紙第一目録記載の不動産を売却し、しづが別紙第二第三目録記載のごとく株式を取得したことは認めるが、右不動産の売得金は訴外鍋野毛織合資会社に対する出資金として出資した外生活費等に費消し、一方しづの株式取得資金は同人の手持資金と昭和二十一年四月末頃より八月頃までの間に同人が闇稼ぎをして得た金より調達したものであつて、原告の贈与したものでは決してない。

(2)  原告が昭和二十五年の土地譲渡所得申告の際、しづを扶養家族として申告したことは認めるが、右は当時しづの所得がいわゆる闇所得で所得の申告をしていなかつたから、無所得者として扶養家族の恩典を利用したにすぎない。

(3)  原告名義の富士紡績株式会社の株式二百株をしづ名義に書替えたことは認めるが、右株式は昭和二十四年五月二十日しづ各義で買う旨仲介人に連絡してあつたところ、これを誤つて原告名義として会社に届出たため、直ちにしづ名義に訂正したにすぎない。

二、消滅時効の主張について

被告は、無申告の場合には申告期限経過後に課税価格の決定をなしうるから、消滅時効の起算点を申告期限の翌日となすごとく主張するが、贈与税は課税標準計算の期間たる事業年度終了の時に課税要件完成し、租税債務の内容は事業年度の終了とともに客観的に確定しているから、消滅時効の起算日は右の租税債務が客観的に確定し課税しうる状態におかれた事業年度終了の翌日、すなわち昭和二十四年一月一日となすべきで、申告の有無によつて左右されるものではない。

立証〈省略〉

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、原告主張事実中、訴外税務署長が原告に対してその主張の日にその主張のごとく昭和二十三年分及び昭和二十四年分の各贈与税の課税価格を決定して原告に通知したこと、原告が右決定に対しその主張のごとき理由で訴外税務署長に対し再調査の請求をなし、同署長がこれを棄却したこと、原告が昭和二十九年四月二十六日再調査請求棄却決定に対し審査の請求をなし、昭和三十年一月二十八日付で原告の申立は生計事業の実情よりみて理由がないものと判定するとの理由で、右請求が棄却された事実はこれを認めるが、その余の事実はすべて否認する。訴外税務署長が原告の昭和二十四年分贈与税の当初決定の課税価格金三十七万四千九百円をその後調査によりこれを金四十五万九百円に更正し、原告に通知した事実はあるが、原告主張の如き昭和二十四年分贈与税の課税価格を金七万六千円に更正した事実はない。

二、被告が贈与の事実を認定したのは次のような理由にもとずくのである。

(一)  訴外近藤しづは昭和二十三年より別紙第二、第三目録のとおり株式に投資しているが、訴外税務署長が原告及びしづの収入を調査したところ、しづが右株式に投資するに足る収入をあげ得た事実が全く認められないのに反し、原告は別紙第一目録記載のとおりその所有不動産を売却しているにかかわらず、これに見合う現金の蓄積その他資産の増加した事実がない。

(二)  原告は名古屋市中村区日比津町上森末六十三番地において織布業を営んでいたが、昭和十八年三月これを廃業し爾来引続き同所に居住し、昭和二十二年七月頃知多郡野間町大字奥田字砂原三十九番地の十六に転居し農業を営んでいた。この間において原告は従来の経験を生かし闇行為をしていたことは推測するにやぶさかでないが、これはしづの資本と責任においてなされたものではない。しづはせいぜい手伝い、使走りの内助程度(履行補助者)で原告の強調するが如きは牽強附会のそしりを免れない。それが証拠に、訴外税務署長がその証拠資料の提示を求めても原告はこれを提示しないし、又その記録もなく取引の相手方も不明で、原告居住の近辺の人からの聞込みによるも、しづが闇取引を主宰していた事実は認められず、原告等が知多郡野間町に引越してからも、しづが闇取引をしていた形跡は認められない。仮にしづに所得があつたとすれば、これが申告をすべきであるのにこれが申告もなされていない。

(三)  次に原告は昭和十八年四月以来しづが闇営業の主宰者であると申しながら、昭和二十五年に別紙第一目録記載の土地売却による譲渡所得の申告の際には、しづを扶養家族として申告している。

(四)  更に原告は実母及び先妻の実子との折合悪く別居している現状で、この複雑な家庭にしづが後妻として財産的補償がなければ嫁して来ず、しかも先妻の実子と後妻の実子との間に将来相続問題について紛争の生ずることもあり得るので、これを防止するためと、しづに対する生活保障を与えるために、原告は計画的に順次資産をしづに贈与したものと考えられる。

(五)  しかも原告は昭和二十四年七月八日その所有にかかる富士紡績株式会社の株式二百株をしづ名義に書替えて贈与しているし、昭和二十七年六月二十日にはその所有にかかる名古屋市西区枇杷島通三丁目四十一番地の田三畝五歩をしづに贈与している。

(六)  その他諸般の事実を総合勘案して、訴外税務署長はしづの投資資金は夫である原告から贈与をうけたものと認定し、被告もその判断を適正と認めたもので毫も瑕疵はない。

三、原告は、訴外税務署長が昭和二十九年一月三十日付をもつてなした原告の昭和二十三年分贈与税の課税価格決定は時効により課税権が消滅したと主張するが、元来、消滅時効は権利行使ができるのにこれを行使しないことにより既に発生している債権を消滅せしめるものであるから、消滅時効の進行は権利を行使しうる時すなわち課税処分のできる時より進行するものである。しかして本件贈与税は申告納税制度を採用しているので、課税処分としてその課税価格の決定をなすのは、申告書を提出しなかつた時に限るのであるが、無申告の納税義務者に対する最初の権利行使たる決定処分は申告期限を経過してはじめてなされるものであるから、本件贈与税の消滅時効の起算日は、申告期限(贈与した年の翌年たる昭和二十四年一月三十一日)の翌日たる昭和二十四年二月一日である。従つて訴外税務署長の本件贈与税に対する課税権は昭和二十九年一月三十一日まで消滅しない。

立証 〈省略〉

理由

訴外税務署長が昭和二十九年一月三十日原告に対し、昭和二十三年分贈与税の課税価格を金十三万四千七百円(基礎控除後八万四千七百円)と決定し、次いで昭和二十九年二月四日昭和二十四年分贈与税の課税価格を金三十七万四千九百円と決定し、それぞれ原告に通知したこと、原告が右両年度の課税決定につき、その主張のような理由で訴外税務署長に対し再調査の請求をなしこれを棄却されたので、更に被告に対し審査の請求をなしたところ、被告は昭和三十年一月二十八日原告の申立は生計事業の実情よりみて理由がないものと判定するとの理由で、右両年度の審査請求を棄却するとともに、昭和二十四年分については訴外税務署長をしてこれが更正決定(その金額の点はのぞく)をなさしめたことは、当事者間に争のないところであり、証人安藤行雄の証言により成立を認めうる乙第三号証の一ないし三、証人松沢力の証言により成立を認めうる乙第八号証の三及び五、並びに右安藤証人及び松沢証人の各証言をあわせ考えると、原告の審査請求につき名古屋国税局協議団で調査した結果、昭和二十四年分贈与税の課税価格決定の基礎となつたしづの株式の取得につき、日本鉱業株式会社の株式二千株の脱漏を発見したのでこれを加算し、富士紡績株式会社の株式四百株のうち二百株は昭和二十三年十月二十日に取得したものなることが判明したのでこれを除いたため、課税価、格決定を四十五万九百七十円と裁定し、被告は右三十七万四千九百円の審査請求棄却決定をなすとともに、自ら課税価格の増額をなし得ない関係上、訴外税務署長をして原告に対し課税価格を四十五万九百七十円とする旨の更正決定をなさしめたものなることを認めることができる。(原告は右更正決定により課税価格を七万六千円に更正されたというが、その主張の理由なきことは成立に争なき乙第五号証の一の記載自体に徴して明らかである)そこで、被告のなした右昭和二十三年分及び昭和二十四年分の贈与税課税価格の審査請求棄却決定について、原告の主張するような瑕疵があるか否かについて考察する。

原告はまず、本件贈与税は贈与の事実がないのに課税したものでその原因を欠くから違法であると主張し、被告はこれを争うから、被告の贈与事実の認定に違法があるか否かについて考えよう。

訴外近藤しづが昭和二十三年より別紙第二、第三目録記載のとおり株式に投資していること、原告が別紙第一目録記載の不動産を売却していることは当事者間に争のないところである。被告は右のしづの投資資金は原告の不動産の売得金より贈与されたものであると推定し、その根拠として次の事実をあげている。

(一)  しづに右投資資金に相当する収入のないことと、原告が右不動産を売却しながら、そこに見合う現金の蓄積その他資産の増加した事実のないこと。

(二)  しづが闇取引を主宰した事実が認められず、且つ所得の申告をしていないこと。

(三)  原告が不動産譲渡所得申告の際、しづを扶養家族として申告していること。

(四)  原告の家庭が複雑であり、且つしづが後妻である関係上、紛争の防止としづに生活保障を与えるために、計画的にしづに贈与したものであること。

(五)  原告が昭和二十四年七月八日その所有にかかる富士紡績株式会社の株券二百株をしづ名義に書替え、昭和二十七年六月二十日にその所有にかかる名古屋市西区枇杷島通三丁目四十一番の田三畝五歩をしづに贈与していること。

そこで右の諸点について検討してみるに

(一)の点については、被告は原告が右不動産を売却して得た代金の金額についてなんら主張立証しないから、しづの収入のないこと及び原告の不動産売得金の行方の不明なことのみをもつて、贈与推定の根拠となし得ない。ただし、原告の不動産の売得金額としづの投資金額が合致すれば、右金額が原告よりしづに贈与されたことを推定することも可能であるが、然らざる限り右の推定は成り立たないからである。(二)及び(三)の点については、しづが闇取引を主宰したことの認めがたいことは後記認定のとおりであり、真正に成立したものと認むべき乙第十五号証によれば、しづが所得の申告をしていないことを認めることができ、又原告が昭和二十五年の土地譲渡所得申告の際、しづを扶養家族として申告したことは原告の争わないところであるが、右事実は必ずしもしづに収入がないことの根拠となし得ないこともちろんであり、(四)の原告が紛争の防止としづに生活保障を与えるために計画的に贈与したとの点は成立に争なき乙第五号証によつて認めうる原告の家庭が複雑でしづが後妻であることより推測できないことではないが、右の事情のみをもつて、本件贈与推定の資料となし得ないことも明らかである。(五)の富士紡積の株式二百株の名義書換の点は成立に争なき甲第四号証の一、二によれば、しづ名義で買受ける予定のところ名義を誤つたため訂正したにすぎないことを認めることができ、又原告がしづに枇杷島通の田三畝五歩を贈与したことは成立に争なき乙第十三号証によつて認めうるが、右は昭和二十七年のことであつて、いずれも本件贈与推定の資料となし得ないこと明らかである。

以上のごとく、右(一)ないし(五)の各事実はいずれもそれのみでは本件贈与推定の根拠となし得ないが、更にこれを総合して考えても、贈与事実を推定するに由なく、却つて真正に成立したものと認むべき甲第三、第十一号証及び証人近藤しづの証言によれば、原告が別紙第一目録記載の不働産を売却して得た金はそのうち金七万八千円を鍋野毛織合資会社に出資し、その余は名古屋鉄道株式会社の株式千七百株を購入する資金となしたことが認められ、一方証人近藤しづの証言により成立を認めうる甲第一号の一、二同第二号証、同第十号証、成立に争なき甲第九号証及び証人高村新十郎、同早瀬安五郎、同近藤しづ(措信しない部分をのぞく)の各証言をあわせ考えると、しづは終戦前より相当の資産を有しており、終戦後は昭和二十一年頃より原告と協力して釘、屑糸、服生地等の闇取引をなす一方、株式の売買、株券担保の金融等によつて相当の収益をあげた事実を認めることができ(しづの証言中しづが闇取引を専ら主宰していたとの点は他の各証拠と対比してたやすく措信しがたい)右認定事実より考えるときな、しづは右収益のうち相当の分け前を得、これを資金として別紙第二目録及び第三目録記載の株式を取得したものなることを推認するにかたくない。従つて被告は贈与を確認するに足る証拠なきにかかわらず、本件贈与税の審査請求を棄部したものというべく、その判断を誤つたという外はないから、右棄却決定は取消さるべき瑕疵あるものといわざるを得ない。

よつて、爾余の判断をなすまでもなく、本件審査請求棄却決定の取消を求める原告の本訴請求は正当であるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおら判決する。

(裁判官 山口正夫 夏目仲次 黒木美朝)

第一、二、三目録〈省略〉

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